1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/03/27(日) 14:05:10.40 ID:zKJemEHj0
「先に行ってごめん。みんなも早くきてね」
三浦八重子さん(70)は見送りに出た避難所の仲間一人ひとりにこう声をかけながら、携帯カイロを配った。
この日、岩手県が進める被災者の内陸部への集団疎開が本格的に始まった。
「釜石2号車」の行き先は盛岡市の温泉旅館。2~3カ月間滞在する予定だという。
三浦さんは「みんなを残して行くわけにはいかない」と、いったんは断った。
しかし、同じ集落の高齢者の大半が移ることになり、決心した。
「避難所に残る人がいる。地元を離れるのは心が痛む」と漏らした。

佐々木センさん(87)は、避難所の出入り口付近で寝泊まりしていた。
寒さに震える日々。「これ以上ここにいたら体がもたない」と疎開を決めた。
それでも「生まれ育った土地と家を離れるのは正直つらいし、自分だけ行くのは申し訳ない。また戻りたい」。
市民体育館には約300人が生活しているが、出発したのは19人だけだった。

午後0時50分、大槌町の県立大槌高校からもバスが出た。
同町の理容師、小国加奈子さん(38)は、12歳と7歳の子どもと一緒にバスに乗り込んだ。
「この町に残りたい、行きたくないというのが本音。
でも、家も仕事も学校も何もない。母子家庭がこの状態の町に残るのはきつい」

一方、残る側も複雑な思いだ。「今の仲間を捨てて、旅館なんかに行けないよ」。
300人を超える被災者が身を寄せる釜石市の避難所の責任者はつぶやいた。
旅館に移る人から「家に戻って(津波で流れ込んだ泥などを)掃除する際には、
またこの避難所に泊めて下さい」とも言われたが、納得できないという。
「我々を捨てて出て行って、都合のいいときだけ泊めてくれなんて」。

この避難所から疎開した人はほとんどいなかった。
県の現場担当者は「気兼ねや不安から移動を言い出せない人が多い」とみる。
「避難所の中には、自治組織が『出て行ったヤツは、戻ってこないでくれ』と明確にしているところもある」という。
http://www.asahi.com/national/update/0326/TKY201103260419.html

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