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4:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/09/08(木) 15:38:09.12 ID:DfjgVD/70
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自宅警備員が自宅を離れるわけにいかないからな
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6:名無しさん@涙目です。(秘境の地):2011/09/08(木) 15:38:26.89 ID:iIrGyNLn0
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家を守るのが仕事だろうが
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7:名無しさん@涙目です。(兵庫県):2011/09/08(木) 15:38:47.44 ID:fXndmvEt0
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逃げる服がない
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126:名無しさん@涙目です。(愛知県):2011/09/08(木) 15:58:13.67 ID:2tARfnfj0
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千載一遇のチャンスを逃すグズはいないよな?
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11:名無しさん@涙目です。(東京都):2011/09/08(木) 15:39:09.13 ID:s60PtXRH0
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家に残ったおかげで助かったひきこもりもいたそうだしな
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18:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/09/08(木) 15:40:04.22 ID:TyORgEDo0
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>>11
普通に逃げれば普通に助かってるわけで
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22:名無しさん@涙目です。(山口県):2011/09/08(木) 15:41:01.08 ID:fJGv7sdQ0
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>>11
下半身丸出しで救助されたんだよな
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295:名無しさん@涙目です。(神奈川県):2011/09/08(木) 18:26:43.08 ID:bWRyfsww0
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>>11
避難所でオカンと再会したやつだっけ
オカンの心境はいかに
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12:名無しさん@涙目です。(dion軍):2011/09/08(木) 15:39:28.20 ID:lhBU3vDN0
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俺、絶対逃げなかった自信があるわ。
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121:名無しさん@涙目です。(山陰地方):2011/09/08(木) 15:57:06.73 ID:wWxMmaY00
- 自宅警備隊長は自宅と運命を共にするのが暗黙の掟
http://diamond.jp/articles/-/13921
あの大震災から、9月11日で半年を迎える。
筆者は、震災12日後の3月23日に被災地に入って以来、宮城県石巻市を中心に行ったり来たりして、取材を続けてきた。
なかでも、現在調べているのが、引きこもりの心性を持った人たちの大震災後の行動である。
そうしたケースを1つ1つ検証していくことによって、もしかしたら引きこもりのメカニズムを解明する手がかりが何か見えるかもしれない、と思うからだ。
その後の5月中旬、亡くなった本人の兄である長男と父親に直接、インタビューする機会があった。
そこで今回は、正確性を期すために改めて、次男のいる家と母親が目の前で津波に流されていく光景を目撃した
長男の証言を紹介しておきたい。
大津波によって、次男の仁也さん(29歳)とともに、妻のみき子さん(56歳)も一度に失ったのが、当時、岩手県の陸前高田市立広田小学校校長だった佐々木善仁さん(60歳)。3月末日で定年退職後、市内の図書館長に就くことも決まり、1週間後に最後の卒業式を迎えるはずだった。そして、大震災が起きたときは、学校で帰りかけていた児童たちの対応に追われていた。
一方、当時学校教員だった長男(30歳)は、自宅にいた。大震災が起きたとき、家の外に出て、子どもたち向けに卒業のお祝いメッセージを録画していたという。
地震が起きたとき、小刻みな揺れがかなり長く続いて、隣の木造家屋の柱がグニャングニャンと曲がって見えた。その家に住んでいるおばあちゃんが、膝をつきながら外に出てきた。
自宅に入ると、タンスが倒れ、冷蔵庫が移動していた。そのうち、大津波警報が出たので、外に出て車のラジオのスイッチを入れ、通帳や父親の卒業式の服などを車に詰め込んだ。
長男は、いつでも逃げられるよう、車のエンジンをかけて待つことにした。しかし、母親が家からなかなか出て来ない。
津波は、予想した以上に大きかった。自宅は、海岸から2キロほど内陸部にある。
しかし、長男が見たときには「拡大コピーしたような」大波が、家々を飲み込みながら、すぐそこまで迫っていた。
「津波だ!逃げろ!」
長男が、そう叫ぶと、母親だけ家から飛び出て、長男めがけて駆け寄ってきた。
「津波が来たら、もう車では逃げられないと思っていたんです。母親はそれまで、家の中にいました。でも、(逃げようとしない次男を)説得していたのかどうかは、私にはわかりません」
飼っていた柴犬の手綱を引っ張り、10mくらい走って、ちょっとした高台に駆け上った。高台に向かう途中、犬は高台とは別の方向に逃げて行った。
振り返ると、波は左右から土煙を舞いながら押し寄せていた。高台から母親に手を差し出して、足を取って引き上げた瞬間、波が母親のすぐ足元を通り過ぎて行った。
その高台に古い家があったので、長男は母親と一緒に窓を開けて、家の中に飛び込んだ。すでに家の住人は逃げた後だった。
しかし、水位がどんどん高くなって、身体が水に浮かんでいく。長男が屋根裏に頭突きすると、木が割れて、屋根の上に首を突っ込んだ。後を追うように母親も頭突きして、屋根に上がることができた。
「じゃあ、仁也は死んだね」
「竜馬(飼い犬)も死んだね」
そんな話をしながら、2人は家ごと沖のほうへと流されていった。
そのうち、家が水の中に沈んでいく。何かにつかまって、後ろを振り向くと、水が引いた跡に、ベンチが見えた。
そこは、沿岸にあるはずの市民球場だった。
長男は母親を引き上げて、ベンチに座らせた。
「次に波が来たら、諦めよう」
ここにいたら、助からないと思っていた。すると、母親はこう長男を励ました。
「せっかくここまで来られたのは、神様によって生かされているんだから、頑張って生きよう」
そう言われた長男は、生きようと思った。周りを見ると、トタン屋根があったので、その上に乗った。母親は「動くな」と言った。
しかし、何かに乗らないと、次に波が来たら、生きられない。そう思って、トタンに乗るとともに第2波が来た。母親はベンチに座ったままだった。
トタンは浮かび上がって流れ始め、流木に視界を遮られた。長男が母親の姿を見たのは、それが最後だった。
トタンが流されていくとき、女性の声が聞こえた。しかし、すでに長男は眼鏡を流失していて、母親かどうかわからなかった。
「何かに乗っているか?」 と呼びかけると、その女性は「乗っていない」という。「とにかく何かに上れ!」と声をかけている間に再び大波が来て、トタンはその場から離れていった。
その後、長男はトタンの上で一晩、沖合を漂流。未明に漂着した砂浜で救出された。
怖いな・・・
岩手県野田村の海岸線近くに住む無職男性(48)は約15年間外出せず、
引きこもっていた。自宅ごと流され、一時は死を覚悟したが奇跡的に生還し「幸運だった」と喜びをしみじみと語った。
男性は母親(72)と2人暮らし。勤めていた東京の会社が約15年前に倒産。故郷の野田村に戻り、そのまま引きこもるようになった。
「避難はおっくうだった」と男性。11日の激しい揺れの直後「逃げなきゃだめだ」と何度も訴える母親の言葉を聞き入れなかった。
母親だけが避難した直後、ドンという音とともに自宅は流された。部屋の壁が崩れ、天井が落ちてきた。
あっという間に胸まで水に漬かり、屋根の梁(はり)に手を伸ばし必死に抱え込んだ。わずかな空間で呼吸し、屋根ごと1キロ近く流された。
だが間もなく屋根は真っ二つに割れ、濁流の中に。気が付くと下着ごとジャージーは脱げ、腰や脚は擦り傷だらけに。
ようやくビニールハウスの骨組みをつかみ、引き波に耐え続けた。どこにいるか分からなかったが、寒さに震えながら高台へ歩き、隣の久慈市の避難所に運ばれた。
「息子はもう生きていないだろうと正直諦めていた」。野田村の避難所にいた母親の元に3日後の14日、朗報が届いた。再会し、母親は涙を流して男性を抱き寄せた。
「人とのコミュニケーションは苦手だが、避難所の生活はそんなに苦でない」と男性は話している。
エリート兵だな
大津波より恐れていた“他人の目”
――弟さんは、なぜ津波が来ているのに 家から出て来なかったと思いますか?
「私は単に、いつも通り、外に出たくないんだろうなと思っていたんです。ただ、弟が親戚の夢に出てきて、“本当はあのとき、逃げたかったんだけど、外にはいろんな人がいると思うと、どうしても怖くて逃げられなかった”って、言っていたといいます。弟は対人恐怖症によって引きこもっていたので、他人の前には出られない。
津波が来たとき、周りに誰もいない状況であれば、逃げられたと思うんです」
長男によると、仁也さんは、たまたま津波よりも人間のほうが怖かったのではないかという。仁也さんが逃げなかったのは、自らの意志だったのではないかと。
そして、こう続ける。
「もし、弟と母親のどちらかが生き残ったら、生きていけなかったのではないかと思うんです。弟と母親に関しては、 両方生き残るか、両方死ぬかの選択肢しかなかった。私がいまこうして生きているのは、母に“生きろ”と言われたからです」
仁也さんの生活は、規則正しかった。朝食は取らず、昼食を多めに摂る。夕食は少なめに自制。 入浴も夜10時からと、決まっていた。
「きちんとしていて、怠けていたわけではない。それなのに、社会に出られなかったんです」
引きこもりは、全体を総称した現象だ。引きこもるきっかけも状態も、社会に脱出する出口も、人によってそれぞれ違う。
死んだほうが家族の為だと思うが
最初で最後の仕事だよ
>そうしたケースを1つ1つ検証していくことによって、もしかしたら引きこもりのメカニズムを解明する手がかりが何か見えるかもしれない、と思うからだ。
こんな状況でも逃げないの?ひきこもり笑える
と思うから特集したんじゃないの?引きこもりのメカニズム関係ないじゃん
まあ正直笑えるけどな
こんな状況でも逃げないから病気なんじゃないか?ってアプローチじゃないのかね?
強迫性障害と同じく、見た目は普通でも明らかに脳に異常が出てるってタイプのものかもしれない
強迫性障害の人は、津波から逃げるときに鍵の確認などやったのだろうか?
非常に興味がある。過去の、確認癖があった俺だったら2回はやってると思う。たとえ津波が見えていても。
それまでずっと天変地異によって自分を含めた全員が死に絶える事を願っていたが
気がついたときには窓から外に飛び出してた
引きこもりを治すには死の恐怖を与えるのが一番
この俺ですら外の世界に逃げたんだから間違いない
もっと詳しく
実際外した
>しかし、次男は何かを言って、再び2階に上がっていった。
次男「これぐらい大丈夫だから!2chみたいし!」
こんなのかな
そんな人間が手ぐすね引いてる外に出ないで死んでよかったんだよ。
経験なくても、妄想だけでなるよ
心の中では俺を笑ってる、馬鹿にしてるんだろ、ってね
津波じゃなく太陽と他人の目
どっちにしろ同じ結果だよ
後自宅警備
それヒキって言わないよ
お前はただのフリーターだろが
でも体育館じゃ暮らせないから死を選ぶ。
リアルで逃げる靴がない奴も多いからな
死んで本望だろ
南無
366 :名無しさん@涙目です。(catv?)[sage]:2011/03/11(金) 15:05:17.67 ID:DV37YHNY0
宮城県気仙沼市民がきましたよ
937 :名無しさん@涙目です。(catv?)[sage]:2011/03/11(金) 15:09:46.95 ID:DV37YHNY0
@宮城県気仙沼市
津波がくるお
231 :名無しさん@涙目です。(catv?)[sage]:2011/03/11(金) 15:12:17.63 ID:DV37YHNY0
宮城県民参上だぜーwwww
519 :名無しさん@涙目です。(catv?)[sage]:2011/03/11(金) 15:15:36.09 ID:DV37YHNY0
津波がくるおおおおー
@宮城県沿岸民
10分間の間に書き込まずに逃げてたら死んでなかったんだろうなあ
ご冥福
貴重な10分で2chw
こんなのが人生の最期とか間抜け過ぎるな
こいつ死んだのかな
地震後すぐに停電だったのに
2chに書き込めるわけねぇじゃん
電話は非常用電源があるし、UPSは必需品だろ。
あの日のニュー速は熱かったな
津波が迫り車で逃げ惑ったり取り残されたり
あんなスペクタクルな映像を生で見ることなんて
俺の人生でもうないんだろうなあ・・・
あの揺れ方を体験できてないって結構不幸かも知れんぞ。
1000年に一度の揺れはマジで半端なかった。
地面がトランポリンみてーだったもんな。
あの日の揺れはマジ怖かった
「どこいな」とか書き込む余裕も無かったわ
「ぎゃああーーー!!!」とかは書き込んだけどな
大学卒業後に5年ニートしてた俺がバイト始めて間もなくだったから、夜7時頃からはバイトに行ってて祭りに参加できなかったのが心残り
まあおかげで地震があった時間も起きててあの映像も見れたんだけどな…
ミヤネ屋で石原の会見で東京に中継→揺れてます→CM→スタジオの大阪もかなり揺れてます
って見た瞬間、ああ日本終わったなとマジで思いつつ書き込んでたわ
それより
> 一方、当時学校教員だった長男(30歳)は、自宅にいた。
なんで平日3時に教師が自宅いるの?
家から出るのも嫌なくらい甘えた奴が死にたいとか思うわけが無い
家で死んだ方がまし
みんな無職になるんだから心配すんな
逃げろ
自分が将来たいへんな事になるのに引き籠ってるのが良い証拠
なんにも考えてないからな
せいぜい「家が無くなったらのたれ死ぬかー」くらいにしか考えてない
こちらとら伊達に人生終わってるわけじゃねーんだよ
近所の人間の大半が死ぬなら本望だ
迷いなんかなく引きこもる一択、生き残ったら地獄
いっぺん助かったと思ったらその後流されたわけでしょう
つらいわ
アクティブニート・フリーターも出来る奴は普通に逃げるだろw
常に映画見てるような感覚なんだろ?
記事そのものが創作だろ
教師が何故平日昼間に自宅に居るのか
弟が流されるような地域に住んでるのに教え子の心配してない
なんかおかしいよ
あの髪型はニートだろ
![]() | 定価:¥ 1,470 売上ランク:148612位 出版日:2001-09 出版社:評言社 作者:荒木 次也 ページ数:201 |
by 通販最速検索 at 2011/09/08 |